京都市上京区の胃カメラ・大腸カメラ・婦人科 吉岡医院

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大学のOB戦に行ってきました

2025年2月27日

2月も終盤となり、
少しは春めいてくるかと思いましたが、
先日も雪が降り、まだ少し春は遠いですね。

とはいえ、
桜の季節まであと1か月ほど。
これからを楽しみにして過ごしたいと思います。

 

 

今回は私が大学時代のクラブのOB戦に行ったというお話です。
それがどうしたという内容ですので、
時間のある時の息抜きにでもお読みになってください。

 

さて、私は身長162㎝と全く高くありませんが、
大学時代は6年間一貫してバスケットボール部に所属し、
バスケットボール漬けの日々を過ごしていました。

小学生の頃からバスケットボールに興味を持ち、
高校の頃には神様と呼ばれたマイケルジョーダンが全盛期を迎え、
日本でもNBAブームが巻き起こっていました。

私はあまり勉強も得意でなかったので、
高校では部活には入らず帰宅部で過ごしていました。

大学生になったらバスケットボールをしよう、
その一心で「医学部」というようり「バスケ部」を目指し、
いろんな支えのおかげで何とか大学に入りました。

 

大学時代の6年間は常に
バスケットボールが中心にありました。

入学当初2年間の教養部の頃は、
敷地内に体育館があったことから、
授業を抜け出しては誰もいない体育館で
一人シュート練習をしていました。

人生で最も幸せな時期の一つでした。

しかし少し試合にも出られるようになってきた
大学2回生にの夏に、
練習中に着地に失敗し左膝の靭帯を損傷しました。

中学高校と部活には入らず、
大学でいきなり本格的に始めたため、
体が付いてこなかったのだと思います。

最終的に手術を行いましたが
その後も膝の状態はもとには戻らず、
何とか競技は継続し6年間を終えました。

そして卒業とともに母校から離れたため、
OB戦などの行事にはすっかり足が遠のいておりました。

 

その様な中、
私が1回生の時に4回生だった先輩が、
この度母校の主任教授になったという知らせを聞きました。

4回生は幹部学年といって、
主力メンバーとしてチームを引っ張る学年です。

教授になった先輩は当時バスケ部のキャプテンをされていて、
新入生だった私を勧誘していただきました。
冷静で賢い先輩でしたのでとても尊敬していました。

 

しばらくしてから当時のバスケ部の同級生から連絡が来て、
その教授になった先輩がOB戦に来るらしいから、
一緒に行かないかと誘ってきました。

部活を離れて約25年、
OB戦に行っても知った人もいない年代です。

ただ同級生が行こうと誘ってくれたのと、
久しぶりに先輩に会って挨拶できるのであれば、
行ってみようかなと思いました。

 

OB戦は2月23日の日曜日で翌日が祝日でした。
これなら日程的にも行けそうです。

同級生にはOKと連絡し行くことに決めました。
ただ困ったことにシューズもウエアもありません。

行ったところでゲームに出るような体力もないうえに、
怪我をするリスクもあります。
学生時代にけがをした膝の状態もいいことはありません。

シューズは買うことに決めていましたが、
同級生から一応動ける格好は持っていくと言われましたので、
仕方なく一式そろえることにしました。

 

なかなか買いに行く暇がなく前日となり、
土曜日の夕方診療を終えてから、
バスケットボールの専門店に駆け込みました。

シューズはナイキと決めていましたが、
最近の知識がなくどれがいいのかわかりませんでした。

学生の時は高価なバスケットシューズを買うとなると、
かなりリサーチをしてワクワクしながら買ったものです。

昔夢中だったことが今では全く分からなくなっています。
何かバスケットという競技に距離を感じました。
結局足にフィットしたジョーダンモデルを選びました。

店員の若い女性がレジの方向に向かいましたが、
私が「これからウエア一式選びますので」というと、
この歳でバスケを始めるのかという顔をしていました。

時間が無かったので適当に試着し買いました。
何となく居心地が悪くそそくさと店を後にしました。

 

当日は同級生と駅で待ち合わせし、
10分くらいあるキャンパスまでの道を歩きました。

見覚えのあるカーブもあれば、
見たことのないお店もたくさんありました。
25年ぶりなので記憶もかなり曖昧です。

道中にある公園にさしかかった時同級生から、
飲み会の後にみんなで花火をした話を聞かされましたが、
全く思い出すことができませんでした。

身体の衰えに加え、
記憶力の衰えも感じずにはおられませんでした。
こんな老体でバスケットをするとどうなるのでしょうか。

 

久しぶりにキャンパスにつくと、
見覚えのない立派な校舎が目に入りました。
さすがに古いものは建て替わっています。

それでも図書館や体育館は既存のまま静かに佇んでいて、
当時のことを思い出しノスタルジックな気分になりました。

アッという間に当時から25年の時は流れました。
これは産まれてから大学卒業までの時間を、
現在はもう1回繰り返したことになります。

またこれから会う現役の部員たちは、
自分が卒業した時にはまだ生まれてもなかったということです。
気付かないうちに一世代がくるっと回ったのです。

 

体育館に入るとすでに多くのOB、学生が来ていました。
OB会を仕切っている10歳ほど上の先生に挨拶したところ、
「10分後にゲームを始めるから仕上げてこい」と言われました。

「仕上げる」ってどういうこと?

私のイメージでは軽いアップから始まり、
男女混合のチームでゆるくゲームを楽しむものかと思っていました。
何だか雲行きが怪しいです。

 

私が真新しいウエアに着替え、
履きなれない固いシューズに足を滑り込ませると、
ピカピカの新入部員のような格好になりました。

万が一に備え膝にテーピングをガチガチに巻きました。

学生の時以来の感覚です。
コートから響くダムダムというドリブルの音に、
昔のように血が騒ぐのが分かりました。

 

早速ボールに触れましたが、
体は思う様には動きませんでした。
ドリブルもままならずシュートはことごとくショートしました。
こんなに違和感があるとは思いませんでした。

 

しばらく体を動かしていると、
集合がかかりゲームが始まりました。

10分クオーターを4回行うとのことです。
チームは現役チームとOBチームに分かれています。
いきなり最初から本気でやるようです。

私はベンチの隅で限りなく存在を消すことにしました。
こんなところに出たらそれこそ何もできないでしょう。
身の危険すら感じます。

OBチームは30代から40歳前半が中心で、
50歳以上は私と同級生と教授になった先輩と、
OB会を仕切っている先生4人だけです。

思っているのと全然違います。
両チームとも相手を倒すために真剣にやっています。
男女混合でもなく和気あいあいでもありません。

ゲームは現役チームがリードしていますが、
10点差前後で進行し力は拮抗していました。
我々より年上のの2人も戦力となり奮闘しています。

やはりやり続けている方は、
年齢とは関係なくスピードについていけるようです。
感心しながら見ておりました。

 

第3クオーター残り2分ぐらいのところで、
ついに肩をたたかれました。
「いつになったら出るんだ」

恐怖におびえながらコートに立ちました。
バスケットをするのも久しぶりなら、
ゲームに出るのはもっと久しぶりです。

独特の緊張感で少し体がふわふわします。
これはあまりいい兆候ではありません。

家を出るときに妻から、
「張り切ってプレーして、怪我なんかしんといてな」
と言って送り出されたことを思い出しました。

 

コートに入ると、
予想通り現役チームのスピードに
ついていくことができません。

ボールの位置が目まぐるしく変わり、
ディフェンスにつくころには、
ボールは次の場所に送られています。

足がもつれ平衡感覚が不安定になります。
制御不能なジェットコースターに乗っているように、
体も頭の中も振り回されました。

2分ほどの時間でしたが息が上がりました。
全く歯が立ちませんでした。

 

ただ少しの時間でしたが、
プレーさせていただいたことに、
本当にうれしく思いました。

結局2試合を行い、
1試合目は現役チームが、
2試合目はOBチームが勝ちました。

幸い怪我無く終了し、
心地よい疲労感を味わいましたが、
同時にもう少しできたのではと思いました。

その後は大阪で楽しく食事をしました。
同じクラブの同級生って、
いつになっても最高ですね。

 

 

今回OB戦に参加して、
全くプレーしてこなかった僕は多くの機能を失い、
年齢以上にプレーができませんでした。

その点私より年上でも定期的に続けている先生は、
決して動きが素早いわけではありませんが、
流れについていきながら堅実なプレーをしていました。

つまり私にはリハビリが必要なようです。

これは私が普段の診療で
高齢者の方に言っていることと同じです。

 

さて、来年のOB戦はどうしようか。

シューズもウエアも買ったことですし、
今度はもう少しプレーができるようなればいいですね。
リハビリする方法を考えたいと思います。

 

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