2019年8月27日
8月も終盤となり、
朝と夕方は少し
暑さが和らいできました。
猛烈に暑かった真夏のピークが
お盆を境にあっけなく去ったようで、
少し寂しさも感じます。
今年もあと4か月、
これからが毎年あっという間です。
1日1日を大切にしたいです。
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さて
今回は学会のセミナーのお話です。
多くのドクターは、
何らかの科を専門として
診療にあたっています。
例えば、
私は外科専門医の資格を持っていて、
母は小児科専門医の資格を持っています。
そのほか、
内科専門医、産婦人科専門医など、
大きな枠で19の基本領域と呼ばれる
分野に分かれています。
そしてその下に
サブスペシャリティー(通称サブスぺ)領域の
専門医が存在しています。
例えば、
私が持ている外科学会専門医の下には、
消化器外科、心臓血管外科、呼吸器外科などの
サブスペの領域があります。
このように
内科や外科の広いくくりの分野では、
多くはそのサブスぺの領域で仕事しています。
私に関しては外科学会専門医を取得し、
その後外科系には進まず消化器内科に変わりましたので、
サブスぺとしては消化器内科系の専門医、
日本消化器内視鏡学会と日本消化器病学会の
専門医を取得しています。
取得には一定の条件をクリアしたのち、
専門医試験を経て初めて専門医となります。
各専門医は大体5年を境に
更新期限が切られています。
従って5年ごとに各学会が求める基準となる、
総会への参加や教育講演への出席のポイント、
検査、手術件数などをまとめて申請します。
ということで前置きが長くなりましたが、
今回私は消化器内視学会の専門医の更新に必要な
「近畿セミナー」に参加しました。
日曜日に大阪天王寺にある、
大阪国際交流センターというところに
行ってきました。
朝9時から夕方4時半まで、
ランチョンセミナーを含め、
丸1日講演を聞き続けます。
途中の退室、中抜けは許されず、
義務教育のように管理されます。
というと感じ悪いですが、
本当はとても内容があり、
基礎から最新の内容まで学ぶことができます。
従って終わったころには、
少し賢くなった気がします。
(気がするだけです)
またこのようなセミナーでは、
同じ消化器内科の専門医が集まりますので、
時々懐かしい顔に出会うことがあります。
今回は開業前に勤めていた病院で
一緒だった先生に、
久しぶりに出会いました。
その先生は私の1年下の先生で、
私が開業のため病院を退職するにあたり、
その後任でいらした先生でした。
私は外科から途中で内科に転科しましたが、
その先生はもちろんずっと消化器内科医で、
私より知識も経験も豊富な先生でした。
私の退職に伴う引き継ぎもかねて
数か月ほど一緒に働きましたが、
同時期の卒業ということもあってか、
その先生とはとても気が合いました。
かれこれ10年近く前の話です。
当時は若くて上司の愚痴ばかり言っていた我々でしたが、
気が付くとその時の上司の年齢に近づき、
その先生も責任のある地位になっておられました。
時が経ったんだな~と実感します。
私たちももはや若手ではなくなりつつあります。
昔サントリーのウイスキーか何かのCMで、
「時は流れない、
それは積み重なる。」
というものがありました。
当時は意味不明でしたが、
最近は何となくわかるようになってきました。
私も彼もそれぞれの場所で、
この10年間を過ごしてきたのです。
今回のセミナーでは、
10の講演のうちの5つの講演では、
私と同じ平成10年あるいは11年卒の先生が
講師を務めていました。
これまで教育セミナーの講師といえば、
大学教授や基幹病院の部長クラスが
務めたいた記憶があります。
今回少し若い先生のもチャンスを与えたのか、
私がぼちぼちその世代になりつつあるのか、
定かではありませんが、
同年代の先生の講義にはひそかな情熱と、
これからの医療を引っ張っていくという覚悟が見え、
私にとっても大変刺激になりました。
少し違うかもしれませんが、
世代交代の気配を
わずかながら感じたのでした。
そういえば、
前の病院で一緒に働いていた別の同期の先生は、
大学病院での研究を掛け持ちしながら、
昨年末国立大学の糖尿病科の教授に就任しました。
私と同じ年なので、
45歳という若さです。
まあ、
その先生の頭脳と能力は、
別格でしたが…。
私も今までのように
呑気に仕事をしていたのではダメな世代に
なってきたことを気づかされました。
もっと後進の育成に励み、
世間の役に立つ人間にならないと…。
開業していると上下関係がないからでしょうか、
あるいは開業医は平均年齢が高いからでしょうか、
私はまだまだ若手だと思っていました。
今回のセミナーでは内容もさることながら、
卒後20年を迎えた今の同期の先生方の立ち位置を
目の当たりにした気がしました。
私も大学病院や基幹病院での先端医療はできませんが、
気持ちはもっと高いところに設定し、
頑張らなければならないと強く感じたのでした。
といいながらも、
再会を果たした前の病院の先生とは、
そのような高尚な話は一切なく、
当時の上司の愚痴など
昔話で大いに盛り上がったのは
いうまでもありません。
吉岡医院 吉岡幹博