2017年3月7日
いよいよ3月です。
もうすぐ冬が終わると思うと嬉しくなりますが、
今朝もとても寒かったです。
まだ想像はできないのですが、
今月末には桜も見られるこの季節、
何となくわくわくしてしまいます。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
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つい先日の話ですが、
長野県で災害救助用のヘリコプターが墜落し、
パイロット、乗員9人全員がなくなる、
とても悲しい事故がおきました。
ニュースによると、
皆さんお若く働き盛りの方ばかりで、
山岳救助のプロフェッショナルだったそうです。
今まで多くの遭難者や救急の患者さんを、
救ってこられたのだと思います。
皆さん自分の命を顧みず、
人命救助に当たってこられたんだと思います。
今回は訓練中とのことでしたが、
私と同世代で小さい子供さんのおれれる方もあり、
思いがけない出来事に心が痛みます。
私は以前、
岐阜県の飛騨高山で救急をやっていたころ、
2度ヘリコプターに乗せて頂く機会がありました。
長野県も岐阜県も、
アルプスの山々が連なる山岳地帯であり、
陸路ではたどり着けないところもあります。
都市部とは異なり、
日常の救急要請でも、
ヘリコプターが登場することがあるのです。
このニュースに触れ、
ふと当時のことを思い出しました。
ヘリコプターで重症者を緊急搬送したことです。
当時は私は外科医でしたが、
所属は病院で唯一の救急部でした。
医師3年目の駆け出しでしたが、
救急部は人手がなく、
よく外科医は私一人で当直しておりました。
勤務していたのは、
地域の数少ない基幹病院でしたので、
重症の患者さんも多数運ばれてきました。
ある日の晩のことです。
20代後半の女性が車で自損事故をおこし、
救急搬送されてきました。
シートベルトをしていなかったとのことで、
ハンドルに体を強くぶつけたようです。
いわゆるハンドル外傷です。
重症の可能性がありますが、
幸い意識はありました。
全身のCTをとったところ、
肝臓の一部に亀裂のあることがわかりました。
外傷性肝損傷といい、
お腹の中に大量出血する場合は、
緊急手術で止血しなければなりません。
ひとまず集中治療室(ICU)に上げ、
肝臓からの出血の状況など経過を見ることにしました。
上司に報告をすると見に来てくれました。
ICUに入院して間もなくのことでした。
突然意識がなくなり、そして呼吸が浅くなりました。
血圧も低下し心拍数が上昇しました。
出血性ショックだと思いました。
ただエコーではお腹に出血している様子はなく、
どうしてショックになったのかはわかりません。
原因は「心タンポナーデ」でした。
心臓を包んでいる心嚢と心臓の間に、
液体(血液)が貯留することにより、
心臓が圧迫され動けなくなり血圧が低下する病態を、
心タンポナーデと呼びます。
心嚢のスペースにチューブを挿入すると、
かなりの量の血液が返ってきました。
つまり心臓が破裂していて出血していたのです。
外傷性心破裂といいます。
外傷性心破裂は非常に重篤で、
事故現場で半分の方が亡くなり、
搬送中にその半分の方が亡くなるそうです。
この方は幸運にも生きて病院にたどり着きました。
しかし当時高山には、
心臓の手術ができる病院がありませんでした。
岐阜市内まで搬送するほかないのです。
ヘリコプターで搬送することになりました。
ただ夜間は飛行できないそうで、
明け方まで輸血しながら待ちました。
翌朝まだ暗い中を上司の医師と一緒に、
救急車に乗せヘリポートまで移動し、
そこからドクターヘリに乗り換えました。
ヘリコプター内は思ったより狭く、
何か起こっても大した処置はできない印象でした。
祈る以外に方法はありませんでした。
血圧は低く今にも心停止しそうな状況でしたが、
患者さんが若かったのが幸いしたのでしょう、
何とか持ちこたえ岐阜市内に到着しました。
待ち構えていた救急車に乗り換え、
かなりのスピードを体に感じながら
あっという間に病院の敷地内に入りました。
ストレッチャーを押しながら救急外来を通り抜け、
誘導されるまま駆け足でたくさんの扉をくぐり抜け、
気が付くと手術室の入り口に到着していました。
そこで現地のスタッフに引き継ぎました。
手術室内には準備を済ませたドクターが、
既に数名待ち構えていました。
簡単な申し送りののち手術室のドアが閉まると、
私は廊下のソファーに座りこみました。
何が起こったのかうまく整理できずにいました。
手術は即座に行われ、
無事成功し、
患者さんは一命を取り留めました。
心臓の右側の入り口(右心耳)に、
1cm弱の裂創を認め、
そこを縫い合わせて終了したそうです。
どなたが連携をとってくださったのかわかりません。
まだ夜も明けていない早朝に、
高山の病院のICUからヘリコプターを経て、
岐阜の病院の手術室に入るまで、
全く途切れることの無い最短の搬送でした。
おそらく、
この連携がどこかでうまくいっていなければ、
彼女は助かっていないかった、
そんな気すらするのです。
消防や救急隊の方々の活躍が、
見えないところで発揮されていたのです。
もう一度のヘリコプター搭乗は、
救急の訓練の時でした。
山奥で作業中に怪我をしたという想定で、
ヘリコプターで現場に降り立ち、
応急処置ののち搬送するというものでした。
私は上空より、
少し紅葉に色づき始めた、
初秋の山並みを眺めていました。
今から思うと大変恥ずかしく思いますが、
私なんか大して何も考えず、
ただ訓練に参加しているだけでした。
救急隊の方々は、
本当に真剣に取り組んでおられたと思います。
私はその方々の誘導に従って動いただけでした。
今になりわかるようになりました。
このように普段から訓練されているからこそ、
私のあの重症の患者さんが、
一命を取り留めることができたのだと思います。
本当のプロフェッショナルとは、
彼らのことを言うのでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。