2014年8月17日
8月16日の豪雨には参りました。
甲子園が豪雨で田んぼのようになった1時間後、
私の家でも雷が鳴りはじめ、
突然大粒の雨が音を立てて降りはじめました。
上空から巨大なシャワーを全開にしたような、
地面をたたきつける大変激しい雨でした。
私は車で医院で向かっていましたが、
雨のため視界は極めて不良で、
多くの車がヘッドライトを点けのろのろ走っていました。
ほんの少ししか歩いていませんが、
医院にたどり着いた時には、
ずぶ濡れになっていました。
私は医院の入り口で裸足になり、
更衣室まで裸足でペタペタと歩き、
院内用の靴にたどり着いたのでした。
診察を終えた頃には、雨は小康状態でしたが、
丸太町通りの烏丸から河原町の間は、
道路が浸水し通行止めになっていました。
(下水管の破裂だったようです)
心配された当日夜の五山の送り火は、
雨も上がり予定通り行われました。
京都のしぶとさを感じました。
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翌日の17日は、
医院の町内の地蔵盆でした。
今年は私のところが当番でした。
朝早くから町内の方が集結し、
当院の駐車場奥の発熱者専用診察室に、
祭壇を設置していただきました。
最近までは町内の子供も少なくなり、
主役抜きのお地蔵さんになりかけていましたが、
ここ数年で子供が増えてきました。
心配された雨も何とか降らずに、
午前中に「スイカ割り」を行い、
大いに盛り上がりました。
野球用のプラスチックバットでたたくのですが、
硬いスイカはびくともせず、
最後は普通に包丁で切り分けみんなで分けました。
海岸ではりませんが、
蒸し暑い中屋外でスイカを頬張るのは、
なかなか懐かしくて美味しく感じました。
午後からは数珠まわしを行い、
おやつを食べ輪投げをしました。
この時も町内の方が多数来られて、
子供たちに歓声をあげておられました。
昔懐かしいほのぼのとした時間でした。
私が幼少のころは、
2日間にわたり行われたお地蔵さんも、
今では1日に縮小されています。
それでも近所のつながりが薄くなった最近でも、
このような行事が守り続けられているのは、
いかにも京都らしいと思われます。
年に一度の交流ですが、
人とのつながりは大切だなと、
考えさせられました。