京都市上京区の胃カメラ・大腸カメラ・婦人科・一般内科・小児科 吉岡医院

医療法人博侑会 吉岡医院 京都市上京区
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2013年3月13日

東日本大震災より丸2年。
月日がたつのは早いですね。
しっかりと胸に刻んでいきたいものです。

3月10日(日)、第2回京都マラソンが行なわれました。
京都マラソンは初めてですが、フルマラソンとしては、
去年12月の奈良マラソンに続き2回目です。

当日の天気はくもり、昼から雨の予報。
気温は13度とこの時期にしては暖かく、
日中も20度近くまで上がるとのことで、
半そでのウエアをきてレースに臨みました。

参加人数は1万5千人、西京極は人であふれかえっています。
申告タイム順にA~Kまでのブロックに別れ、
私は後方のGのブロックからスタートです。

 

コースは西京極をスタートし、嵐山まで桂川を上り、
観光道路を仁和寺をこえ、立命館まで東にはしり、
西大路通りから北大路通りへ、千本を越えてから北上し、
今宮神社、大宮交通公園の脇を通り、鴨川に至ります。

鴨川から北山に入り東へ、狐坂をのぼり国際会議場で折り返し。
北山を北白川で折り返し、植物園北を通り鴨川へ。
鴨川を丸太町まで下り、もう一度川端通りを北上し、百万遍へ。

銀閣寺前まで今出川を東に走り折り返し、
再度百万遍を南に走り、平安神宮の鳥居がゴールとなる、
気の遠くなるような42.195kmです。

 

観光道路の上り坂、狐坂の急勾配、鴨川の河川敷、
終盤の銀閣寺までの吉田山のなだらかな登りと、
京都人にはコースの過酷さが手に取るように分かります。

最後まで走っている自分を、想像することも出来ません。
でも、ここはチャレンジです。

いつものようにスタートの号砲はスタジアムの外で聞き、
7分くらいかかってスタートラインをまたぎました。
ここからストップウォッチをスタートさせ、いよいよレース開始です。

今回の目標は、
① 最後まで走りきること
② 4時間30分をきること
ですが、①が最大の目標です。

昨年12月の奈良マラソンは初めてのフルマラソンで、
最後の5kmでどうしても走れなくなってしまい、
スローペースで走ったのに走りきることができませんでした。

僕はフルマラソンを甘く見ていたのです。
これまでの10kmやハーフマラソンと同じように、
ただ出れば走れるというものではありませんでした。

 

まずはマラソンの本を読み、トレーニング方法を考えました。
マラソン初心者向けのアシックスのシューズを購入しました。
ソールがとても厚く、衝撃をひたすら吸収するものです。

シューズが変ると、走るフォーム、使う筋肉が変ります。
レースまで後3ヶ月を切っていましたのでとても不安でした。
シューズを変えただけなのに、全身の筋肉痛になりました。

2月からレースまでの1ヶ月と少しの間に約150km走りました。
何とかシューズは体になじんだのですが、走りこみ過ぎたのか、
レース1週間前に、微妙な右足首の痛みが起こりました。

不安を感じながら西京極をスタートし、嵐山に向かいます。
沿道からはたくさんの人とボランティアの方々が応援頂き、
いつもながらありがたいものだと感じます。

前半狐坂までは、1kmを6分のペースで走ることとして、
後半は出来るだけ粘るという、大雑把な作戦です。
1km6分で走りきったとして4時間13分のゴールです。

集団より少し早いペースで走るのは勇気が要ります。
疲れは急にやってきて、それから後は開放してくれません。
長いレースで、ペース配分はとても大切なのです。

 

広くない観光道路を、周りとの距離を見ながら
ぶつからないように慎重に走ります。
この辺りは、何の苦しみもなく景色を楽しんで走ります。

途中、「お坊さん、この先」と書いたプラカードを見つけ、
なんだろうと思っていたら、
仁和寺の門で、お坊さんが1列で応援しておられました。
これは頑張って走らないとばちがあたります。

西大路通りに差し掛かる頃、まだ13km付近ですが、
右足の足首が痛くなり始めました。
少しかばいながら走り、どこまで持つか不安がよぎります。

平野神社の前で、妻と娘が応援してくれました。
千本北大路では母親が来ていました。
地元を走るというのは応援があって元気が出ます。

その直後いきなり雲行きが怪しくなり、
急に激しい雨が降り始めました。
沿道の応援は軒下に隠れたり、傘を開いたりし、
選手たちのウエアは一瞬のうちにずぶ濡れになりました。

強風が吹き荒れ一気に気温が低下しました。
歩道に立ててあった進入禁止のテープとコーンが飛んできます。
足元も悪くなり、寒さで体力が奪われます。

 

北山通に入る頃、雨は小康状態となりました。
足の筋肉はこわばっていますが、
まだまだと言い聞かせ走ります。

ウエストポーチには栄養補助ゼリーが3本入っています。
マラソンではレース終盤、エネルギーが枯渇します。
20km、30km、残り5kmで摂る予定にしていました。

20kmを2時間1分で通過し、1km6分の予定通りです。
ゼリー飲もうとしましたが、手がかじかん開けられません。
仕方なく沿道のボランティアの方に開けていただきました。
いろいろありますが、あせらず、冷静に、平常心で走り続けます。

ここから5kmが山場の狐坂です。
さすがに20kmを越えると前半のフレッシュな気持ちは
陰をひそめ、黙々と走ることを続けます。

狐坂は確かにきつかったですが、それほど長くないので、
思ったほど苦痛なく上ることができました。
折り返しでもらった生八橋は本当に美味しかったです。

ここからようやく後半戦です。
今から考えてもこの辺りが一番きつかったです。
鴨川にいたるまでの30km地点が、
前回の奈良マラソンが思い出され不安でした。

距離的には一番苦しいはずの鴨川の河川敷ですが、
下りであること、強い追い風が吹いていたこと、
そして何より普段練習で走っていることが、
僕の疲れた体を軽くさせました。

極端に言うと、自分の背中に羽が生えたような、
追い風と一体になって走る感じが心地よく、
一気に丸太町まで下りました。

ここでまた、家族が強風の中、応援してくれました。
本当に助かります。
後8km、最後の勝負です。

川端通りを北上する時は、
強い向かい風となり、登りと重なってきつかったです。
ここから銀閣寺までののぼりを終えれば、
ゴールへの道が開けます。

コースを知っているというのは本当に大切なことです。
どれくらい我慢すれば楽になるか、
分かっているのといないのでは大違いです。

 

京大から吉田山にかけての緩やかなのぼりを終え、
銀閣寺前で折り返したとき、ようやく確信しました。
歩かずにゴールする目標が、もう少しで叶います。

また雨が降り始めました。
日中は20度近くまで上昇するといわれていた気温は、
逆にぐんぐん低下し、5度にまで下りました。

幸い、手も足もまだ動いています。
足首の痛みも、ずっと忘れていました。

京大病院から熊野神社を左折し、岡崎通りを下ります。
いよいよゴールに向かってラストランです。
雨はますます強くなり、キャップから水滴がたれています。

動物園の前を一度折り返し、平安神宮の門が見えてきました。
神宮道に左折したとき、大きな鳥居とともに、
FINISHと大きく書かれたゲートが見えました。

胸が熱くなります。

奈良マラソンで残り数キロで走れなくなり、
立ち止まったときに感じた自分への失望。

東日本大震災で津波を見つめる人たちの表情や、
その後の復興に立ち上がる姿。

さまざまな気持ちが湧き上がり、
雨の中、たくさんの人に助けられながら、
ゴールまでたどり着いた喜びがこみ上げてきます。

両手をあげゴールしました。
時間は手元で4時間27分20秒。
今回は納得のいくレースになったかなと思いました。

当日は春の嵐の中、
運営に携わったボランティアの数は、何と1万5千人。
選手1人にボランティア1人という大変贅沢な環境でした。

またそのボランティアの方が、皆さん本当に一生懸命で、
こちらが本当に勇気を頂き、
普段の実力以上のものを出せたのだと思います。

改めて感謝いたします。

去年の第1回京都マラソンは、
運営、走路ともに評判があまりよくありませんでしたが、
今年は多数の賞賛の声がネット上で聞かれました。

地元でこのような大きな大会に参加できるのは、
大変素晴らしいことですし、
是非来年もさまざまな問題を克服し、
開催されていただきたいと思います。